名古屋城の歴史 History of Nagoya Castle

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詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください

名古屋城の歴史

現在の二之丸にあった那古野城跡

現在の二之丸にあった那古野城跡

戦国時代に現在の名古屋城のあった場所(熱田台地の西北端)に那古野城がありました。 駿河の今川氏の配下今川氏豊が城主を務めていましたが、1532年 織田信長の父、織田信秀により追放され信秀の居城となりました。 信秀の跡を継いだ信長は、清洲城に拠点を移し天下統一を目指します。 那古野城は、やがて廃城となり寂れた原野になりました。
豊臣秀吉の没後の慶長5年(1600年)天下分け目の関ケ原合戦に勝利した 徳川家康は、決戦に備え大坂城を取り囲むように城の整備を進めます。 当時、尾張国の首都は清洲にあり、家康の四男の松平忠吉が領主を 務めていましたが、慶長12年(1607年)に23歳の若さで病没してしまいます。 家康は、九男で甲斐国の城主徳川義直を封じました。これにより 御三家筆頭尾張徳川家が始まりました。 日増しに豊臣方との緊張が高まる中、東海道の一大防衛線として尾張国の 整備が課題となりました。

熱田台地の西北端に建つ名古屋城

熱田台地の西北端に建つ名古屋城

木曽川東岸に約50キロメートルにわたり築いた 堤防「御囲堤」などは、治水対策とともに大坂への防御施設としての 役割を果していました。 課題は尾張国の拠点である清洲城の扱いでした。 規模の問題や低地で水攻めに弱い立地などもあり移転が必要とされました。 調査の結果、名古屋(那古野)、古渡、小牧の三候補地の中から熱田台地の 西北端の名古屋(那古野)が移転先に選ばれたのです。 背後が高さ10メートルの断崖で、沼地が広がるこの地は天然の要塞として うってつけの立地を備えていたのです。
慶長14年(1609年)、家康は築城と名古屋遷府を公布。慶長15年(1610年)、 西国諸大名の助役により名古屋城と名古屋城下の建設が始まりました。 慶長17年(1612年)末頃には、天守閣が完成。引きつづき城下町の整備と 「清洲越し」と呼ばれる、清洲から名古屋への移転が行われました。

三之丸に置かれた名古屋鎮台

三之丸に置かれた名古屋鎮台

明治維新で徳川幕府の治世が終わると、名古屋城は本丸御殿とともに 廃棄される危機を迎えました。金鯱も天守閣から下ろされましたが 各方面の尽力により保存が決定、名古屋城は本丸御殿は残されることと なりました。明治6年(1873年)に名古屋鎮台が三之丸に置かれ、名古屋城は 陸軍省の所管となり二之丸御殿は廃棄されることになりました。明治21年(1888年)、名古屋鎮台が第三師団に改組。師団司令部が本丸御殿から 三之丸に移転されたこともあり、明治26年(1893年)、本丸は陸軍省から宮内省 に移管されました。翌年には、本丸が皇室御料地に編入されて、本丸御殿は 「名古屋離宮」となりました。 昭和5年(1930年)、城郭建築としては初めて天守、本丸御殿、櫓(やぐら)、門 とともに国宝に指定され、名古屋市に下賜(かし)され名古屋のシンボルとなりました。

名古屋城の再建工事

名古屋城の再建工事

太平洋戦争(1941~45年)の末期になると、軍関連の工場が多い名古屋は激しい 空襲に見舞われ、終戦直前の昭和20年5月14日空襲により、本丸御殿とともに 炎上、焼失してしまったのです。戦後、名古屋城郭には駐留軍のキャンプや 名古屋大学の本部、校舎などが置かれていました。
戦後の復興も進んだ昭和20年代 の末には、名古屋城天守閣の再建の声が高まり再建基金の募集も開始されました。 昭和32年(1957)になって名古屋市制70周年記念事業として名古屋城の再建工事が 始まり昭和34年(1959)10月1日に竣工しました。 天主閣とともに焼失した本丸御殿の再建工事も平成21年(2009)に開始され、 平成30年(2018)の全体公開を予定しています。

Nagoya Castle was constructed on the orders of Ieyasu TOKUGAWA in order to secure an important position on the Tokaido road and to ward off attacks from the direction of Osaka. Construction was completed in 1612, and the castle is typical of those built on flatlands. Until the Meiji Restoration, Nagoya Castle flourished as the castle in which the Owari lineage of the Tokugawa family, the foremost of the family’s three lineages, resided. In May 1945, during the air raids on Nagoya in the Second World War, most of the buildings including the main and small dungeons, and the Hommaru Palace, were burned down. Fortunately, however, three corner towers, three gates, and most of the paintings on the sliding doors and walls in the Hommaru Palace survived the fire, and have been handed down as Important Cultural Assets.

掲載映像の紹介 Introduction of a printing image

①名古屋城が出来るまで(3min16sec)

The footprint of the Nagoya Castle construction of a castle (3min16sec)

関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、尾張の首都を低地で水攻め弱い清洲から熱田台地の北端の名古屋に移転した。「清洲越し」と呼ばれている。

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